モデルケースという名の「幻」に苦しめられる親達『躾・教育が苦しい根本を解決』

「理想の親とはかけ離れている気がして子育てに自信がない」

「〇〇さんの家庭ではこうやっていて、うらやましく思う」

「良き妻良き夫を目指しているが、とても疲れてしまう」

「学校での成績や生活態度などを先生から指摘されて困惑している」

「子供はこうあるべき、こうすべきという価値観を子供に押し付け、子供の態度が悪く悩んでいる」

そんな疑問や悩みをお持ちの方に向けた記事です。

 

今回の結論

社会には沢山のモデルケースが流布されているが、全て幻であり、蜃気楼を追いかけている状態であると気がつくことから始まる

人には当たり前のようなそれぞれ個性があり、「普通」「一般的」という人はいないことを理解する

子供への教育とは常識やモデルケースの強要という名の躾ではなく、子供の意思を逐一尊重する

普段の口癖が「普通は〜」「常識的に〜」「当たり前で〜」「これが正しい〜」という言葉がよく出るようなら、相当子供や周囲の人は窮屈に感じている可能性が高いことを理解する

 

日本社会の中に流布された不幸せな思考

 

まず、多くの大人達に留守される「モデルケース」という考え方はなぜ、ここまで一般的に浸透しているのか理解していく必要があります。

一番大きな理由は「労働者に個性はいらない」ということです。

いきなり、何を言っているかわからないと思いますので、説明します。

学校教育の記事でも記載していますが、学校教育とは個性を排除した金太郎飴製造を目的とした機関がそもそものはじまりです。

人々が豊かに生活するために学力を備えなくてはならないという思想からはじまったと勘違いしている人も多いのですが、根本は社会のために働く「労働者」を作り出すための機関が学校という組織の本質です。

学校では、先生の言うことに従わない子は悪い子、従う子は良い子という単純明快な理由付けで子供達がカテゴライズされていきます。

学校に行った方なら誰もが経験あるはずです。

その際に、倫理観や一般常識的(普通)などと言ったモデルケースを提示し、これらを目指すことが良いことと指導します。

これが小学生、いや幼稚園の頃から国が推奨するマニュアルに記載されており、それらを実行しているのが学校という機関です。

これら学校を完全否定する意味で記載しているのではありません。

なぜ、自分達が周囲の大人達に「常識」「普通は」という言葉をかけ、そうした幻のモデルケースを常に追いかけ続けて、はたまた子供達までにも窮屈な思いをさせているのか、その根本を理解して欲しいので事実をお伝えしています。

その点はご了承ください。

このモデルケース(一般常識)の提示は、ピラミッド構造となっている社会のトップ層にとってはとても都合が良い方法です。

なぜなら、労働者や社会を支えている人全員が「画一的で、没個性的な人」であればあるほど、コントロールしやすく、都合よく指導出来るからです。

自分が大企業の社長であれば、全員がそれぞれ好き勝手に動いてしまい、自分の言うことを全く聞いてくれない個性的な人材ばかりではどうでしょうか。

会社は瞬く間に傾いてしまいますね。

だからこそ、個性の排除した生き方、モデルケースを提示し、それらを全員目指して欲しいという方法が誕生したのです。

簡単に言えば、「労働者に個性はいらない」ということになるのです。

その結果、高度経済成長の時代に、学校のみならず社会全体で、企業やマスコミなどを通じて、多くの国民の深い思考まで浸透するほどに「モデルケースを目指しなさい」が広まっていくのです。

この言葉聞いたことありませんか?

「勉強して、良い学校に入って、良い企業(大企業)に入ることが最も幸せな生き方だ」

と。

ここまで読んでいただいた方なら意味が理解できますね。

モデルケースの提示を信じて生きることは、ある意味個性を無くすことですから、生き方に疑問を抱いたり、生活していて苦しかったり、子供が窮屈な思いをするのは当たり前なのです。

 

モデルケースを追いかけても何も掴めない事実

 

このモデルケースという考え方は学校のみならず、社会に出て、社会人となった際にも会社から言われ、御近所さんやお友達からも言われる考え方です。

科学のジャンルでさえも浸透している考え方ですので、世の中は全て「これが目指すべき姿」「これが正しい」というモデルケースに溢れかえっています。

この溢れかえった思考の塊にこそ、疑問を持つ必要があります。

人間のみならず生物は全てそれぞれ個性があります。

人間も一人一人の個性が豊かで、お金のない世界で自由にみんな生活していたのであれば、世界はとても色鮮やかな素敵なレインボーな世界観に溢れているでしょう。

音符に例えるとわかりやすく、同じ音や隣同士の音では素敵なメロディーは作れません。

色々な音があるからこそ、素敵なメロディが作れるのです。

今の社会ではどうでしょうか。

モデルケースの提示は、没個性に突き進んだ考え方そのものではないでしょうか。

出世競争に疲れてしまったサラリーパーソン、学校の成績がふるわず自信をなくした生徒達、皮肉だらけの中高年の雑談、言葉を通じて感じるこの社会には数えきれないほどの没個性が見えます。

自分を大事にすることが出来ずに、自分の個性がなんなのか失い、さらには自分のことを嫌いになるプロセスをこの社会では辿っていきます。

この社会の形であるピラミッド構造に適した個性の人であれば、とても有利に自信満々に生活出来ますが、社会の形に添わない個性を持っている方は相当苦しい思いをされています。

最も苦しいのは自分のことを嫌いになることです。

これでどうして、生きていけば良いのでしょうか。

人生を生きているのは自分自身です。

その自分自身が嫌いになる環境こそが苦しさの根本であり、それを加速させる考え・思考こそが「モデルケース」だと感じます。

モデルケースを押し付けてきた大人達は、押し付けた相手の人生の責任はとってくれません。

あーしなさいとかこーしなさいと言ってきた親でさえ、子供の人生の責任はとれません。

厳しい言い方をすれば、自分の考えを子供に押し付け、後は知らんぷりという、とてつもなく無責任なことをやっているのです。

これこそが、今のモデルケースの押し付けという名の「躾」そのものではないでしょうか。

それであれば、子供には自分の意思で生きていってもらうようにすれば良いのではないでしょうか。

不登校や学校・会社でのいじめ、中高年の引きこもり、自信を無くした個性達が苦しくなるのは当たり前の構造なのです。

苦しい人が無限に増え続ける社会の中で、何が残るのでしょうか。

相手に対する「敬意・尊重」から思い出す

 

現代社会でも、いまだにカースト制度かと言えるほど、身分差別や職業差別、はたまた大量のハラスメントが溢れかえっている時代です。

昭和の時代はあまりにも酷い時代だったと言わざるを得ません。

人として人を扱っておらず、子供含めて相手への敬意や尊重のカケラもない言動が多かったからです。

それらは前述の通り、社会的構造(ピラミッド型)やモデルケースの流布による洗脳が理由です。

「普通はこうなんだから、あなたもこうしなさい」の押し付け合いです。

とても窮屈な考え方で、誰も幸せになりませんね。

幻の蜃気楼を追っているようなものです。

完璧な人などいませんし、人にはそれぞれ個性がある以上、目指すべきモデルもありません。

自分の個性を大事にするだけで社会は成り立つという事実を知って欲しいと思います。

何を隠そう、この日本という国は自分の個性(好きなこと・得意なこと)を提供するだけで成り立ってしまった縄文時代や江戸時代という歴史が残っているからです。

 

まず、モデルケース思考から脱却するために必要なことは自分の個性を認めてあげると同時に、相手のこともどんな人だろうと敬意と尊重の気持ちを持って話すことです。

それだけで、結果的に幸せな気持ちになっていきます。

真の愛とは何か、自然と気がついていくのではないでしょうか。

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

プロフィール

プロフィール「新しい子育て研究家兼ライフコンディショナー」

○名前:じょーもんパパ ○出身地:青森県 30代のアウトドア・釣り好き、サッカー日本代表好き。 「2歳の男の子・0歳の女の子」二児の父親。 妻と息子と娘と4人暮らし。自分も子供も大事にする子育て・生き方を模索中。興味のあることは何でもやってみるをモットーに生活中。「自分が生まれた意味」は好きなこと・得意なことにこっそり隠れていると信じている。自分を満たすからこそ、コップから溢れるように周りも大事に出来ると伝えている。

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