子供が最近「でんしゃ!でんしゃ!」と電車を見るたびに言うようになったので、すごく嬉しいです。笑
物を言葉で表現してくれるようになって、息子が1歳半になり毎日成長を感じています。
さて、今回は電車の席問題について言及したいです。
電車の席譲ってくれない問題に関して、日本社会の精神構造が如実に現れている部分だと感じています。
都心部での電車事情
僕は地元から離れ、東京及び神奈川で生活して11年の歳月が経ちました。
その中で田舎の実家で生活していた時にはほとんど出番がなかった電車というものを社会人になり始めて体感しました。
都心部電車というのは、時間帯にもよりますが、人がとにかく多く、いわゆる「満員電車」というのも数年経験しています。
当時を思い返すと辛かったですね。
嗅ぎたくもない他人の匂いを嗅がされ、ぎゅうぎゅうに押し込まれ、身動きが取れず、なぜか痴漢冤罪にならないように、不安に苛まれながら生活していました。
今は電車に乗らない仕事を選んでいるので、満員電車に乗ること自体がなくなりましたが、電車というのは都心部中心に生活している人にとっては欠かせない移動手段の1つです。
安価で乗り間違いさえしなければ、ほぼ定時に行きたい駅に到着するのですから、冷静に考えたらものすごく便利ですよね。
プライベートな空間を確保できるタクシーやレンタカーなどと比較しても毎日移動することを考えれば、電車に勝る乗り物はなく、働く人々にとってはなくてはならない素晴らしい乗り物だとは思います。
しかし、それでも様々な問題があります。
今回は様々な問題がある中で「電車の席を譲ってくれない問題」について言及したいと思います。
電車の席に座れるという安心感
電車の席に座るために、朝早くから出勤したり、特急から各駅停車を選んだり、人が少なく不便な端っこの車両を選んだりと色々な方法を考えて試していました。
なぜなら、冗談抜きで電車で移動する・出社するだけですでに一日の体力の半分近くは使っているからです。(マジ)
田舎出身の僕だからというわけではなく、サラリーパーソンをして電車移動している方なら大体共感して頂けると思うのですが、電車移動って疲れます。
周りに人が居るだけで気疲れすることもあれば、周囲にいる人達の落ち込んだ感情や不安感がなぜかこちらにも伝わってきているような気がしますし、それに何より本当は行きたくない会社に移動しているからですね。笑
三重苦ですよ・・・
だからこそ、少しでも体力や精神的な負担を減らすために席に座りたいわけです。
僕は、正直都内でもトップ3に入ると言われる満員電車区間に住んでいて、快速を選ぶと朝から常に満員電車状態で仕事に行っていました。
ですので少しでも時間的に余裕がある時は一駅歩き、必ず各駅停車を選んで、出勤していました。
仕事を変えたり、転勤したりしたので途中から路線は少し変わったりしましたが、基本的に最寄り駅が一緒で、基本人混みの中からのスタートです。
ですので、ぶっちゃけた話をすれば、少し体に不自由がある方や高齢者が乗ってきても、席を譲る行為をする余裕が自分自身にないことも多々ありました。
満員電車での出勤からの連日の仕事というのはそれくらい気力体力共に人々を追い込んでいます。
実体験からそう断言しても良いです。
現に、朝の満員電車に限らず、電車内で妊婦さんや明らかに体の不調のある方や不自由な方、そして、電車の揺れですぐにでも倒れてしまいそうな高齢者の方などに席を譲らない光景を何度も目の当たりにしてきました。
最初の頃はその光景を見ては、席を譲らない人に対して怒りを感じていましたが、段々慣れが生じて、何も感じなくなっていったのです。
本当に何も感じなくなり、最初は「あっ」と思っても数分後には忘れてしまうくらいの状態でした。
お恥ずかしい話ながら、これが本当の話です。
日々の生活に余裕がなく、他人に気を遣う余裕がなかったのです。
席を譲らない人はどんなことを考えているんでしょうか。
音楽を聴いていて、気づかないふりをしている?
寝ているふりをして、気づかないふりをしている?
性格がひねくれており、わざと席を譲らない?
そもそも席を譲るという考えを持っていない?
色々な価値観を持っている人がいるので、どれも正解だと思いますが、もっと根本的な問題が原因だと断言できます。
優先席は本来不要
「優先席」というのは一見すると、社会的に立場の弱い方や体力のない方々などに必要不可欠な仕組みの1つと考えられますよね。
妻の体験談としても「妊娠中マーク」をバックに付けて電車に乗るのですが、妊娠初期ほど辛く、席を譲って欲しいと感じるとのことです。
本当は老若男女譲って欲しいと思っている人は想像以上に多いはずなのです。
席を譲って欲しいがために、妊娠中マークや障害者マークを付けていることもあるわけです。
しかし、もっと根本的な問題を冷静に考えれば、本来は優先席なんてもの自体が不要なのです。
それはどうしてかと言えば、電車で他人に席を譲ることができない人が多いから「優先席」という仕組みができるのです。
なぜ、そんな仕組みができたのかは明白です。
電車に乗る人たちが「不機嫌」であり「余裕がない」からです。
当然全員ではありませんが、上記満員電車の経験からも誰もが陥っている状態ではないかと思えてなりません。
つまり、日本社会の疲弊している精神的な構造そのものが「優先席」という仕組みに反映されているのです。
それほど、日本社会で働くということは不機嫌な人を増やし、余裕がなく疲弊した人を作り続けているのです。
よく疲弊し切って、疲れ果ててしまっている中高年の先輩方を何百人と電車内で見てきました。
悲しいかな、こうなりたくはないと心底思いました。
だからこそ、僕自身生きるとは何かを真剣に考えたいと思ったのかもしれません。
自分の子供を満員電車に乗せられるか?
自分の子供を疲弊し切った社会の中で満員電車に乗せ、会社に通わせるかと問われたら即答でノーと言いたいです。
自分自身が生活・経験していて嫌なことを子供に押し付けるなんて絶対に出来ませんし、選択肢があるのであれば、もっと精神的に豊かに生きる方法を自分自身で見つけ出して欲しいです。
今、自分たちがやろうとしている子供への小さい頃からの教育、躾と言われる行為が一体どこに繋がっているのか、どんな社会を作り出していたのか、考えてみてください。
これまで言われていた教育の一般常識とはなんだったのか考えてみてください。
「みんなそうなんだから我慢しなさい」の時代ではないと思います。
どこへ行ってもルールや一般常識やらで我慢することが当たり前となっている社会が続いています。
今、その傾向はさらに強くなっているように感じます。
個人が変われば、社会は少しづつ変化します。
そもそも、みんなが同じ時間に出勤しているということ自体が不思議なことではないでしょうか。
人には人の生活リズムが存在するからです。
働く人々の個人の意識が社会を創っているのです。
そして、最後に想像してみてください。
あなたは「今日のお昼は何食べようかな」「明日はどんな楽しいことしようかな」と考えながら、ルンルンでご機嫌な状態で電車に乗りました。
目の前には2本も杖を使って、少し体に合わない大きなリュックを背負って歩いている腰の曲がったおばあちゃんが居ます。
電車の扉が閉まり、周りに空いている席はありません。
電車が少し揺れながら、発車しました。
さぁ、超ご機嫌で歌い出したくらい嬉しい状態のあなたはどんな行動を取りますか?
大事なことは自分自身が機嫌良く過ごせることだと考えています。
機嫌よく人々が過ごせ全てに寛容になれば大きな問題は発生せず、社会は豊かになっていくと思いませんか?
最後までご覧頂きありがとうございます。
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