今回、僕の価値観にはなりますが、昔から大事にしている買い物の仕方とお金の使い方について書きます。
人間、欲があるのは当たり前で次々に欲しい物が出てきますよね。
あれ使ってみよう、これ使ってみよう、こーしてみたい、あそこ行ってみたい、こんな家に住みたいなどと考えたらキリがないですよね。
僕なんかは木で作った優しいお家が欲しいので、色々と妄想を繰り広げています。笑
もっと具体的にするためにいずれ、ショールームなどの展覧会などに行ってみたい気もします。
欲しい物は欲しいのですが、欲しい物だけを購入していたら次の月の残高が・・・とか、生活が苦しくなるとか・・・色々なことを考えてお金を使うのをセーブするのですが、こうしたループを無くすために僕的な考えを紹介します。
昔から自然とやっていた方法ですが、今後の将来を考えた時、大量生産、大量消費が前提の社会的問題も解決しうる考え方だと思っています。
ぜひ、最後までご覧ください。
本当に欲しているコト
よく、お金を使うことで一時的に気分が良くなるとか、機嫌がよくなるってありますよね。
生活にも全く困らずに好きな物が何でも買え、一生遊んで暮らせるだけのお金を持っていたら、どうでしょうか。
そうした生活を永遠としますか?
僕はお金を使って満足したり、機嫌がよくなるということに対しても質があると思っています。
むしろ質が低ければ、お金が無限にあったとしてもいつまでも満足は出来ないとすら思います。
例えば、高級レストランでただ食べ物漁り的な使い方や夜の繁華街で遊びまくり、当たるまでパチンコや競馬なんかを楽しむなど、一時的な快楽を求めるお金の使い方ってありますね。
そうした快楽を求めるようなお金の使い方って一時的には、とても良い気分になったり、機嫌がよくなったりしますが、結局次の日には全て忘れ、満たされない気持ちだけが残ります。
だからこそ、お金の使い方の質を考えるのですが、質の高い使い方というのは継続的に楽しめるものだと思います。
例えば、自分で魚を捌いて美味しい魚を食べるために高級お寿司屋さんに食べに行って楽しむ・学ぶとか、その国の文化を知るために旅行に行くとか、ダンスを学ぶために自分に合ったダンス教室を探すために色々試すとかそんな感じです。
何が言いたいかと言うと、ある程度目的意識があり、お金を使うことで人生にとって積み重ねがあることがベストだと思うんです。
一時の所有欲や他人への優越感、快楽的なことにお金を使うのではなく、自分にとって意味のある楽しい積み重ねがある使い方が必要だと思っています。
そうこう積み重ねをしているうちに好きなことや楽しいことをしているわけですから、次々やりたいことが無限に出てきますね。
自分で関心があって好きなことにお金を使い続けているのですから、だんだん楽しくなっていくのが自然の理ではないでしょうか。
結果、本当に自分が求めていることが見えてくるのです。
満足できる物があれば物は少なくなる
ここからが本当に伝えたいことなんですが、皆さん普段、満足した物を使っていますか?
例えば、僕は釣りをしたり、魚屋さんに行って魚を購入して、魚を仕立てて料理を作ったりします。
シンプルに興味があるので、日々勉強もかねてやっています。
その時、魚を捌くのに必要な道具として「包丁」があります。
この「包丁」ひとつとってもとても深いんです。
「包丁」を新品で買おうと思った時にどんな考えを持つかと言えば、僕はほぼ一生使える物かどうか、そして自分が購入した時に満足できるかどうかを基準にします。
ですから、本当に心から欲しい物かどうか、本当に必要な物かどうかは真剣に悩みます。
ほぼ一生使えるというのは消耗品には当てはまりませんが、中途半端な強度や安物の商品だと、安物買いの銭失いでもったいないです。
例えば、安価な100均包丁がありますが、最初は包丁を研いでおけば料理には何の支障もなく使用できるとは思いますが、持ち手などが簡単に取れたり、グリップがすぐ削れたりとまた購入する必要が出てきます。
最初は良いと思って購入したフライパンでも、料理しているうちにコーティングが剥がれて、結局また購入しないといけないという感じです。
何十年鍋を変えていない飲食店も全然あるわけで、物を大事に使う前提で購入する事はすごく意味があると思います。
長年使っていると愛着も湧きますし、僕の場合死ぬまで使いたいという気持ちで使っているので、日々のメンテナンスもある程度行うようになり、さらに物を大事にしたくなります。
実は昔の日本人なんかは1つの物をすごく大事にする文化があって、今の消費社会、つまり大量廃棄大量消費の社会的な価値観とは真逆の考え方がそこにはありました。
1つの物を大事にすることで修理屋さんという職種も生まれますし、何より質の高い包丁(物)を作る職人さんが誕生します。
工場で大量生産されたものではなく一つ一つ手作りの物をみんなが大事に使い出すと何が起きるかと言えば、そもそも無駄な物を買わなくなります。
お皿だって、割れてもメンテナンスしてまた使えば良いですし、伝統的な器であれば漆を塗り直してピカピカに仕上げ直したって良いわけです。
職人さんという職が生まれ、人々が好きな物を作るだけで生活が成り立ってしまうようになるのです。
僕はこうした社会の方が素敵だなぁと思っています。
本当のサステナブルとは何なのか、もう一度考える必要があります。
そして、一番大事なこと「自分が満足できる物」を購入することです。
どういうことかと言えば、シンプルに一番欲しい物を買わなければ、また、別の物が欲しくなってしまうのです。
だって、一番に欲しくない物を買うんですから何か不満足なわけです。
そうこうして何かのきっかけでまた別の物を買ってしまうというスパイラルに陥ります。
僕は趣味の釣り道具でこの経験をしました。
本当に好きな釣具だけを購入していれば、別に新しい物は欲しくなくなります。
(たまに追加したくなりますけど。笑)
僕は満足した物を購入してきたので、一番古い道具だと2008年から大事に使っています。
壊れない限りずっと使いたいですね。
僕の中で商品や物を選ぶ際に「安いからこれが良い」という発想はナンセンスだと思います。
サステナブルな意味でも、機嫌良くなるという意味でも、お金の使い方という意味でも、お金の消費という意味でも全てにおいて、自分が満足する物だけを購入することに意味はあると思っています。
勘違いして欲しくないのは一番高い物を買ってくださいという意味ではなく、あくまで自分が満足できる物ということです。
ものすごくシンプルな話ですが、とても大事な価値観を共有させていただきます。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
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