『営業パーソンと言う仕事はなぜ苦しいのか?』その根本を徹底解説

僕は営業・仕事に関する本を100冊以上は読みました。

しかし、どの本にも「営業がなぜ苦しいのか」その根本に書かれた本はありませんでした。

ですので、僕が書きたいと思います。

この記事では「営業が辛すぎて、苦しい」そのたった一点を感じている人向けに書きました。

今回は、その根本について真実をこの記事で紹介したいと思います。

僕は飛び込み営業の会社に属した経験もあり、実体験も紹介します。

今回は、営業が好きで誇りを感じている、売り上げを上がるためならどんな方法でも試したいと強く考えているような経営者の方向けの記事ではありません。

人それぞれの価値観がありますから、苦しい努力をしてでも数字を求める人や我慢や忍耐が好きな方もいますので、僕の記事内容だけが全てではありませんが、あまりに苦しんでいる人が多いと感じていますので、この記事を作成することにしました。

 

世間では営業や社会は苦しいもので、そうした耐え凌ぐ努力や経験が無ければならないと大人達は言いますが、僕はそれらは全て誤りだと思います。

一見苦しいように見える努力や経験をして成功したという話は耳タコだと思いますが、実際に成功してうまく軌道に乗っている人たちは経営、スポーツなど問わず、別のファクターが要因としてあります。

そのため、努力や成長という言葉の本質を一から考えて頂ければとても曖昧な概念であり、従業員を働かせるための口実でしかないことに気が付くと思います。

 

ガンガン売ることを指名づけられた営業マン時代は、とにかく売ることが正義で売れないことが悪という刷り込みをまともに信じてしまった時期もありました。

人間それぞれの大事な個性を無視し、心を殺して働いていました。

でも薄々心ではこういう生き方は自分には合わないと気がついていたのです。

これを読んでいるあなたも営業という仕事に疑問を持ち、なぜ、企業のために必死になり、人に頭を下げ、モノやサービスを売らなければならないのか答えが出せない人が多いと思います。

そうした薄々感覚として理解していることを言語化しました。

ストレートに書きますので、覚悟して読んでください。笑

長いですが、ぜひ最後までお付き合い頂ければ幸いです。

今回の結論

『仕事が苦しいと心が貧しくなり、寂しさを感じる』

『営業パーソンの真の役割は身を削ってでも経営陣を儲けさせること』

『本当に売れる商品はあなたが好きな商品・サービス』

『成長しなければならない、努力しなければ数字を上げ続けならないという幻想』

そもそも論「好きなことや興味のあることしか努力は続かない」

 

多くの人が勘違いしていることがあります。

それはどのジャンルでも忍耐強く、嫌なことでも嫌いなことでも耐え忍び努力できる人が成果を出し、努力出来ない人はダメという考えです。

でも、実際は淡々と努力できる人というのは、その分野について少なからず興味があり、好きなことがあり、気がついたら淡々と努力しているように見えることが実態です。

努力という言葉を僕はあまり使いませんが、少し我慢して積極的に頑張る意味で努力という言葉を使っています。

当たり前ですが、我慢を強いられるようなことや頑張っていることは続きません。

人はそんな単純ではなく、みな単一に努力できる人間が成功すると言う話こそ、ファンタジーそのものです。

仮に苦しい努力や苦労を重ね、周囲から成功しているように見えたとしても、本人が満足しているかは別問題です。

実際は、それぞれ個性があり、ある程度なんでも卒なくこなせる人もいますが、好きなこと、人それぞれの興味のあることでなくては物事は続きません。

つまり、営業という仕事をする上で、商品が好きであったり、対面での会話が好き、商品を熱く語るのが好き、人と数字を競うのが好き、お金を稼ぐために努力することが好きなど、営業という仕事に対して何らかの興味のあることが必要不可欠なのです。

これが世の真実とは断言しませんが、かなり真実に近しいことをお伝えしているつもりです。

努力の天才と言われる人ほど、実は周りが大騒ぎしているだけで「実は興味があることを淡々と続けていただけ」と言うことがプロの世界では往々にしてあるのです。

努力の話で引き合いに出せる野球のイチロー選手の話の中で出てくる話を聞いていると、僕の脳内変換では野球における努力はとても楽しいと言っているようにしか感じません。

決して、嫌なことや嫌いなことも我慢して、耐え忍び努力するということはしていないのです。

彼のインタビュー動画から伝わるエネルギーを感じてみてください。

「楽しいことしています」というイメージしか伝わらないのは僕だけでしょうか。

 

つまり、物事を継続するかしないかの本質は「好きか嫌いかの自身の物差しで決める方が良いということです。

一般的には労働者確保のために、世間に流布されている一般常識的な「好きなことは我慢しなさい」と教育されてきた人もいますが、本気で個性を活かして生活するなら好きか嫌いかの物差しを自分で持ち、自身の心の問いかける方が良いのです。

一見営業の話と関係ないように思いますが、営業という仕事に対して自信がなくなっている人や営業が嫌いなのに無理やりやっている、営業という仕事に疑問を持っている、とにかくよくわからないが営業をしていて違和感を感じる人向けの記事です。

上記内容は、一般常識的に語られる話とは一線を画す根本的な部分をお伝えしたつもりです。

つまり、苦しさ・寂しさの原因です。

利益至上主義が会社を包み込む理由

 

大手中古自動車販売の利益至上主義とも言える行き過ぎた指導、教育とは呼び難い洗脳的方法が明らかになり、世間を騒がせた騒動がありました。

報道を鵜呑みにすれば、ほぼ実権を握っている当人が部下(と言っても各地域のリーダー格)に「死刑・教育」の文字を乱立したLINEを送付していたことが内部告発により明らかにされていましたが、この騒動を客観視し、学べることがあります。

それは、「死刑や教育」という言葉には社員間での競争意識や過剰なまでに社員を追い込み何をしてでも数字を出さなければならないという強迫観念に近しい感情を植え付けるような指導を徹底していたと考えられることです。

おそらく、死刑の文字通り、成果を出せない人はすぐに辞めさせる方向に持っていかれるでしょうし、何とか食らいついて仕事をしている人も数字を出さなければならないという強迫観念と会社からの日々のプレッシャーに耐えている状態と想像できます。

こうした手法はバリバリの営業会社であれば、ほとんどの企業に強弱は在れど、そうした指導があるはずです。

後ほど、僕自身の経験でもお話しますが、組織化された営業会社は昭和時代を彷彿とさせるような徹底したスパルタ指導的教育、上下関係の徹底、数字至上主義を価値観の軸に置いており、そうした会社に入った人は軍事的な訓練でも受けているかと勘違いしてしまうほどの緊張感を強いられた生活が続きます。

プレッシャーを感じながら、スリリングな営業会社を好む人はそれで良いと思いますが、大体の人が違和感を感じて辞めていきますので、会社は常に募集を繰り返しています。

会社側も改善する兆しを見せる姿勢を見せている風で、実際は辞めては補充、辞めては補充するの繰り返しで会社運営を続けているのでしょう。

まず、こうした指導をする背景の第一は従業員に必死に働いてもらい、会社の売り上げ、利益を伸ばすという目的があります。

なぜ、そうした目的が第一となるかと言えば、ほとんどが会社の社長か経営陣に売り上げを上げることが重要であるという価値観があるからです。

純粋な営業会社に関しては、それ以外の会社理念はおまけ程度でしかない会社も散見されます。

営業会社の社長もしくは経営陣の性格を如実に表していますので、どんな会社かを調べるにはやはりトップの情報はかなり重要です。

トップがどんな価値観を持っているのかが理解出来れば、その会社でどのようなことが行われるのかは自然と想像できるはずです。

そして、売り上げを達成させるために社員教育を行い、いくつかの会社の雰囲気・文化を作っていくのですが、まずそうした中で一番根幹となる指導は「売り上げを上げない人間に価値はない」という指導です。

こういう指導をし続けることで会社内では売り上げを上げない人間の価値はないという有りもしない偶像を作り出すことが出来ます。

人間はそれぞれ個性があり、売り上げという数字だけではその人の価値を測れるわけがないのですが、社長の価値観が売り上げを伸ばすという点にフォーカスしているため、あたかも数字を上げない人間には価値がないという空気感と文化を形成することが出来ます。

その結果、何が起こるかと言えば、数字を上げる人間が偉く出世する、数字を上げない人間の価値はない指導が進み、社内での競争という過程を経て、序列が出来ます。

その序列が結果的にピラミッド構造を形成し、社長をトップとした吸い上げ式の組織として機能し始めるのです。

そうした企業に入ってしまった人は幸か不幸か「会社のために成長」という謎の目的とフレーズを与えられ、必死で数字を作ることを強要されていきます。

成長するとは一体何のことでしょうか。

※実は「成長」という言葉ほど曖昧な概念はありません。よく考えてみてください。

数字を作ることが好きな人は問題ありませんが、多くの営業パーソンがそうした組織の中で働いているため、確実に搾取の対象とされており、数字が上げられなければ、自尊心も下がるような指導を徹底的にされていくのです。

自尊心を下げることで自分自身の価値がないという考えに持っていき、さらに苦しい努力をするようにと指導を繰り返します。

また、自尊心を下げることで転職防止にも繋がり、営業会社にとって上記のような価値観に基づく指導は理にかなっているのです。

自尊心が低くなることで、他人を寛容出来ない状態になり、上司からも数字的なプレッシャーを受け、緊張感が強い企業は常にピリピリとした空気感があり、場合によっては殺伐としており、決して居心地は良いものではありません。

空気感を作り出している上司がその空間の悪者の種にされやすいのですが、その上司もさらにその上司からプレッシャーをかけられているのです。

別の視点で、巧妙なのが営業で数字を出した際は部や課、チームなどで大喜びし盛大に盛り上げます。

その結果、数字を上げることでみんなが喜び、空気も良くなり、みんなのためになるという発想に誘導・持っていくことが出来るのです。

 

僕もそうした企業に在籍していたのでよく理解していますが、社長や経営陣は身内でかたまっているケースが多く、実力でトップに上がってきていない人や数字だけを追い続け人間的に難ありの人が経営陣に必ず居る状態になるため、従業員から如何に営業で利益を出させ、売り上げを伸ばさせるかという発想だけをします。

そうした発想が上層部にある限り、従業員の幸せや価値観は認めませんし、そもそも考えていないのです。

その結果、経営陣が表で言っていることと裏で考えていることに乖離が生じてしまうのです。

 

一見、どこのブラック企業の話だと突っ込みしたくなる人もいると思いますが、経営的な視点からそうした従業員をいかに働かせるかという議論はどこの経営陣もやっています。

なぜなら、このピラミッド構造こそが、搾取システムそのものであり、営業会社の本質なのです。

多少のインセンティブがあったり、報酬や給料などは業界に応じて千差万別ですが、現場に出ている新人の営業マンの給料が低く、椅子に座って社員を管理している上司の給料が高いのはそうした構造の問題なのです。

本来こうした構造がなければ、上も下もなく売り上げや利益に応じて、社員全員に利益分配すれば良いのです。

売り上げが良ければ、みんな潤沢もお金がもらえ、売り上げが悪ければ、少ししかお金がもらえない、というシンプルな話で良いはずなのです。

責任が上司に生じるなどという嘘の理論を持ち出して、下の従業員から上の幹部、社長、そして株主にお金が吸い上げられる仕組みとなっています。

会社のトップは責任を取っていると見せかけて、退職金をたっぷりもらったり、株を譲ってもらったりしてから、引退しているだけです。

何の責任も持っていないのが現実ではないでしょうか。

この話は会社の話のみに限ったことではないのは、賢い方なら理解できるはずです。

営業の実体験と不思議な組織感

 

僕の実体験を赤裸々に書きたいと思います。

僕は広義の意味で営業を長くやってきました。

店舗の販売員、設備メーカー、飛び込み営業など、様々な経験をしてきました。

その中でも会社での使用必須の設備の飛び込み営業の仕事をしていた頃の衝撃が忘れられません。

はじめにお話しますが、飛び込み営業は非常に大変そうなイメージがありますが、僕は比較的楽しんでいた方でした。

会社からの圧力は極めて苦痛でしたし、ずっと永遠と終わりのない歩きを続けるのは並外れたメンタルでは出来ないことだと思います。

そのため、意識的にサボる時間も必要不可欠でした。

多少、サボる時間がなければ、間違いなく精神的に病んでいたと思います。

それでも、法人にいきなり飛び込みし、知らない人と仲良くなり、人生の話からたくさんの世間話をさせて頂いた機会には相当感謝しております。

むしろ、当時は営業活動に疲れたら飛び込み営業をして、ただ世間話もかねて休憩していたほどです。

それくらい人と話すことでたくさんの学びがありました。

今の自分があるのも当時の飛び込み営業の経験があってこそだと感じています。

そんな飛び込み営業会社に入社した時の体験談です。

 

まず入社した時に驚いたのが、机と会社のブレザーのみが貸与され、それ以外の備品(ペンや紙なども)や営業に必要なものは全て自腹で購入しなければならないということでした。

当時は余裕があったわけではありませんでしたから、まず、会社の事務作業で使うノートパソコンを自腹で購入する必要があり、秋葉原まで行って超特価や中古のパソコンを漁りまくりました。

仕事をする上で、パソコンはなくてはならない物ですが、絶対今週中に購入しろと強い指示があり、かなり驚きました。

何とか4万か5万円で購入したパソコンはまさかのバッテリー容量無し。

ノートパソコンなのに、電源ケーブルから離れたらすぐに電源が落ちてしまう状態です。

それでも仕事をしなくてはなりませんから、ケーブルに繋いだ状態で必死に仕事をし始めました。

そうこうしているうちに30人くらいいる支店に配属となり、営業マンとして朝から先輩達とロープレ、社訓を大声で全員で行う軍隊のような朝礼、朝礼中の謎の新聞所感発表、朝礼後は駆け足でそれぞれのチームの車で各区の事前に決めたエリアを営業するという1日です。

事務所内は月末に近づけば近づくほど緊張感が強い空気に満ち・満ちている状態となり、一般の方が入れば確実にすぐに出たくなる空気感です。

見込み客には手紙を書いたり、サンプルを作ったり、と事務所に帰ってからも色々と忙しかったですが、何より全て自腹という点が大変でした。

朝礼後の営業活動は基本的に先輩やマネージャーと車で同行するので営業している時間しか1人になる時間がなく、見込み客が作れなかったり、自分の反応が遅いや声が小さいなどの反体育会的な点が見つかればすぐに上司や先輩から指摘されるという地獄のような毎日でした。笑

先輩は熱心にロープレや指導はしてくれましたが、どう考えても高校の頃の部活と変わらないです。

マネージャーが顧問の先生みたいな感じです。

 

その会社では、入社して3ヶ月経っても売れない営業マンは見切りをつけられ、「辞めるまで徹底的に詰められます」

恐ろしいことに辞めるターゲットとなる人間が決まった瞬間全員の態度が変わり、まるで打ち合わせでもあったように、あからさまに無視されたり、必要のない人間であるかのような言葉を諭すように言われたりします。

誰が指示しているわけでもないのに、その空気感だけでみんなが敏感に察知し、みんな同時に辞めさせる方向へと導くように始めるのです。

 

僕が在籍している間もそうして辞めていく人を何人かみましたし、その年に中途入社した30名ほどの営業パーソンは半年後には半分くらいになっていました。

僕は当初から要領が掴めず、比較的見込み客は多かったものの、売れない期間が長く続き、運命の3ヶ月が経過した時に隣のチームのマネージャーから「首」と一言トイレ前で言われた時はもう次の転職活動しなくてはならない、と考えたものです。

ですが、首ギリギリで自分が他の人達から詰められそうになる日の出来事です。

その日は僕の誕生日だったのですが、全然それどころではなく仕事を一件取ることに必死でした。

運命のジャッジデー、奇しくも誕生日ということもあり最後の力を振り絞り、営業をしていましたが、夕方近くになっても手応えはありません。

しかし、夕立が見え始める時間帯、少し暗くなるタイミングで1本の電話が入ります。

その会社に入って初めてお客さんからの電話が鳴りました。

塾をこれからやっていく予定の先生から、まさかの商品が必要になったので話が聞きたいとのことでした。

必死で運転手さんに車を飛ばしてもらい、マネージャーと大騒ぎで塾に駆け込んでいき、マネージャーの必死の営業もあり、バースデー受注となったのでした。

あの時の安堵感と高揚感は忘れられない経験となりました。

次の日の朝は、あれだけ無視しそうな雰囲気を出していた諸先輩方も嘘のように駆け寄ってくれて、握手をして去っていきました。

当時は「これが物を売る喜びか!」と訳も分からず感じた瞬間でした。

その後、最初の頃はサボるなんて発想は微塵もなく、とにかく体力の続く限り東京の街をひたすら営業し続けました。

毎日、汗が絞れるほどの汗をかいていたと思いますし、土日は疲労困憊でずっと寝ていました。

今の妻は当時彼女でしたが、心配をかけたくないので、楽しくやっている風に話していましたが、実際は毎日必死のパッチでした。笑

結果的に4ヶ月目でこれまでの営業が花をひらいたのか、支店全体で2位の成績を叩き出してしまいます。

比較的知識欲のある方ですので、商品の興味のある箇所を自分で調べていき、詳しくなり、そのことをお客さんにシンプルに伝えられるようになったのが大きな要因だと感じています。

その後は程々に売れ続き、コツを掴んだのか悪い成績を出さずに何とか毎日食らいつく日々でした。

しかし、それでも苦痛だったのが朝のロープレで、いつもお客さんに話している内容とは全く違うやり方をロープレで強要されていたため、全くうまくいかず、ロープレと成績に乖離がある可笑しな奴と思われていたことでしょう。

僕オリジナルの営業スタイルでしたので、ロープレは本当に意味のないことをしている感覚がいつもありました。

そして、1年ほど続けたある日、転機が訪れます。

隣の支店への転勤です。

 

移動距離はそこまででもないのですが、都内でも全く別の地域の支店への転勤でした。

その支店では、最初の支店よりも悪名高い上司がいて、さらなる徹底的な体育会方針で、しかも超がつくセッカチな上司の下になり、上司の考えが合わず、またしても最初の3ヶ月間は苦戦が続きます。

その上司は結果的に辞める原因となるのですが、飲み会に強制され、駅を降りた瞬間、僕がダッシュで居酒屋に入り、生ビールを先に注文していなくてはならないくらいセッカチな性格でした。

比較的根がのんびりしている僕にとって、最悪な組み合わせで、仕事のリズムが狂いに狂いまくり、良い仕事が出来た記憶がない状態でした。

何とか1年間程々の成績を残して生き残っていましたが、結果的にこの会社にいて、おじさんくらいになっても上司に詰められ、数字に追われる生活をするのはウンザリだと考え始め、退職するに至りました。

また、毎日これだけ緊張感のある仕事を続けていたら、いつか病気で倒れると感じてもいました。

僕はここまでスリリングな生活を求めてはいないことに心から気がつきました。

退職する際は前の支店の上司が最初の頃の僕のインパクトを知っている上司でしたので、何としても辞めさせたくないと気迫のこもった引き止めにありましたが、僕の決心は変わらず。

いざ、辞める時にあれだけ普段から小馬鹿にし、成績のことで詰めに詰めまくってきた上司が最後に「寂しくなるなぁ」と本気で言ってきたのには驚きました。

また、送別会の打診もありましたが、丁重にお断りしました。笑

僕からすれば、成績が上がらない人間を徹底的に詰めるその体育会的なスタイルはどう考えても数字が出せない人間に対する恨みや攻撃的な思考が体現されているようにしか見えなかったからです。

その上司が最後、ふと人間的な感情を出したのには驚きました。

退職する時に初めて理解したのですが、その上司や諸先輩方は悪意を持って詰めにきていたわけではなく、本気で「数字が出せない人間はダメな奴」と考えていた?信じていたのだと分かったのです。

そうした営業会社で15年とか勤務していると、そうした一種の洗脳にかかった状態になり、数字を出せない下の人間に対しては何をしても問題ないという考えになってしまうんだと退職する時に実感し、営業会社とはこういうところなんだと腑に落ちた瞬間でした。

辞める時が一番その会社のことを理解できた瞬間でした。

辞める直前にこれまで言いたくても言えなかった本音を周囲に漏らしていましたが、同情してくれる人はほぼいなく、利益至上主義的なブラックな会社の体質やどんな人でも明らかに精神的に辛い場所になっているにも関わらず、会社が好きで会社のために働くという人がいるという事実に非常に驚きました。

彼らはどうしてそのようなメンタリティを持って働けているのか、未だに謎ですが、働くことで会社中毒のような状態にでもなってしまっているのでしょうか。

本当、辞める時に価値観が大きく違っていたという事実に気が付かされ、辞めて正解だったと今となっては思います。

こうした経験から某大手中古車販売会社で起きていることも何となく想像が出来ます。

営業会社における根本は大きく変わらないのです。

僕は気がつくのに時間がかかりましたが、シンプルな話、価値観が合わない人からは距離を置く、離れることも人生に置いて重要な選択です。

 

沢山の社長と会話して・・・

 

前の会社でもポジティブな経験として、法人に飛び込んでいたため、たまに小さな会社だと社長さんが直接相手をしてくれることがいくつもありました。

その際に僕は営業的アプローチという意味ではなく、単純な興味で「なぜこのような会社を設立したのか」を聞くようにしています。

そのなぜ会社を設立するに至ったのかが毎度毎度面白くて、それぞれの人生の経験による体験や価値観の違いなどを学ぶ良い機会になりました。

ある人は「勤めていた会社への怒り」ある人は「興味」ある人は「志」などなど、社長さん全員にオリジナルのストーリーがあり、小説でもかけるくらい面白い話も沢山聞くことができました。

毎度話を聞く僕がいつも真剣に聞くので真剣に答えてくれる人が多かったのですが、今、考えれば得体の知れない営業マンによくそんな心の内を話してくれたよなぁと今となっては不思議です。

こうした経験は薄々気がついていましたが、当時の自分が行っている営業活動より社長の話を聞いた方が価値があると感じていました。

なぜなら、人生を選択した社長さんの言葉に重みを感じ、その意思を感じ、自分自身の刺激になったからです。

今となってはその時に話をした社長さんの言葉が幾つも頭の中をよぎります。

人生において事業を起こすと選択した社長さんら、彼らしかしか知らない物語が存在していました。

最近独立した方なんかは、異口同音に「独立して良かった」とおっしゃっていました。

 

そもそも好きなことじゃないと相手に伝わらない

 

いくら話術に長けていても、いくら説得のある言い回しをしても、人に伝わるという点は別の領域だと感じています。

自分が興味があって関心のあることほど、実体験を相手に素直に伝えるだけで伝わるものです。

営業の商品・サービスの話をする時も同様です。

自社のサービスや商品が好きな方は特に特殊な営業トークをしていなくても、熱量とエネルギーで何となく伝わります。

感覚の話ですが、鉄道が好きな子に鉄道の話をしたら、うるさいと思うくらいの熱量で話しますよね。

サッカーが好きな子に好きな選手の話をしたら、人には伝わらない細かすぎる話もできますよね。

好きなこと、興味のあることを話すというのはそれだけ相手に伝わる量と質が全く違うということです。

 

保険の営業パーソンから保険の話を聞いても何にも伝わらないのは、保険の営業パーソンが実は保険の商品自体を好きでない何よりの証拠です。

そんな熱量もない話を永遠とされても胡散臭く感じてしまったり、話が長いと苦痛に感じてしまったりするだけです。

 

だからこそ、自分が好きでない商品やサービスを売らなくてはならない環境にいる方や営業パーソンは正直、速攻で別の仕事を探した方が良いと思います。

絶対大成しませんし、トップ営業マンや自分が目指す姿になるのは難しいと思います。

営業パーソンの話し方がうまいとか下手だとかそんなことより最も重要な根幹となる部分です。

ここを「お金のために」と我慢して、何も考えていないからこそ、営業活動が苦しいのです。

シンプルに自分が好きな商品やサービスを探すか、または自社の製品を調べまくって良いところや好きなところを意識的に見つけていくことで営業成績も連動して良くなっていくと思います。

決して会社から言われたままの知識だけを持って営業しても相手には伝わりません。

自分から自発的に調べたことや関心があって試したり、使っていることのリアルな声こそが自然と相手に伝わる営業トークに繋がっていくと思います。

営業という仕事を続けるにしても、辞めるにしても、自分が好きなことや興味のあることという点は自身の人生を好転させるためのキーであることは間違いありません。

 

キャパシティを超えたら逆に効率が悪くなる

 

営業の仕事をしていて、多少のサボりが大事であった点を前述しました。

この多少のサボりというのは僕の中で極めて重要だと考えています。

なぜなら、自分のキャパシティを超えた時にやる仕事というのは営業の仕事のみならず、反対に効率が悪くなります。

今している仕事も終わらないからと言って、休憩なしで無理な時間に働いたり、無理をしたり、精神的にも肉体的にも疲労が蓄積している場合、大体がケアレスミスとして自分に跳ね返ってきます。

跳ね返ってきたミスが更なる仕事を増やし、また多くの仕事をしなくてはいけなくなります。

そうした負のスパイラルに陥ってい人は自覚がないだけで日本中に沢山いると思います。

色々なお仕事を体験して共通して言えるのですが、日本人は働きすぎです。

働きすぎた結果、疲労が蓄積し、ミスが増え、ミスのリカバリーに時間を費やし、さらに仕事が嫌になったり、肉体的精神的疲労が蓄積していくのです。

際の果てには結果として「病気」になります。

熱が出たり、頭痛が出たりしても無理に働く人がいますが、熱や頭痛や体調不良全般は体から「休んでね」という優しいサインです。

身体は素直です。

別記事でもよくお伝えしているのですが、どんなサプリや健康法を知るよりも最重要なのは身体の声に素直になることです。

これがコンディションを保つコツだと思っています。

しょっぱいものが無性に食べたくなったら、食べてください。

頭痛がしたら、あまり動かず、目への刺激をさけてください。

腰が痛いなら、横になってじっとしていてください。

 

マインドや周りの雑音に耳を貸さず、自分の心の声を大事にしてください。

自分の心の声を聞き続けた人は、成功していくのです。

 

人生は一度キリ・・・

 

そもそも商品やサービスはお金を払って売るという行為の大前提は商品が欲しい人に対して売るということです。

その商品が欲しいという人に売ることが重要で、無理やりお客さんを探して売ってくるという考えはナンセンスです。

お客さんが欲しい商品やサービスを売る上で紹介や宣伝は必要でしょうが、そもそも商品やサービスは必要なお客さんに必要なだけ売ることが一番大事で、勧誘してまで売る、投資させる、無理やり売るような行為は買う側も売る側もどちらも苦しいだけです。

魚を必要な分だけ獲るという発想と一緒で、必要な分だけ提供することが本来の商売だと思います。

それらを完全に無視した利益至上主義、数字をあげるという成長主義(実際は経営陣が儲けるだけ)を従業員に浸透、教育することで競争させ、会社の利益に繋げています。

そうした競争社会で権力・お金を手に入れ、従業員を従えさせたいという目標がある人は頑張っても良いと思います。

でも、そうしたプラミッド型をした小さな社会の中で生活していくのが窮屈に感じるのであれば、自分の人生を創造していくしかありません。

あなたが人生の主人公であるということを思い出してください。

人生は一度しかありません。

どう生きるか真剣に考える時です。

 

最後までご覧いただきましてありがとうございます。

プロフィール

プロフィール「新しい子育て研究家兼ライフコンディショナー」

○名前:じょーもんパパ ○出身地:青森県 30代のアウトドア・釣り好き、サッカー日本代表好き。 「2歳の男の子・0歳の女の子」二児の父親。 妻と息子と娘と4人暮らし。自分も子供も大事にする子育て・生き方を模索中。興味のあることは何でもやってみるをモットーに生活中。「自分が生まれた意味」は好きなこと・得意なことにこっそり隠れていると信じている。自分を満たすからこそ、コップから溢れるように周りも大事に出来ると伝えている。

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