自分自身の人生を振り返った時、必ずそばにあるものは読書でした。
最近は調子が悪いタイミングこそ読書していないと思えるくらいまで読書がない時期は良くないような気さえしています。笑
親になっ人、親になる人こそ読書して欲しいと願っていますし、人生にとってとても有益なことですので、ぜひ読書について紹介させてください。
子育てブログ的な立ち位置ですので、親目線で話をさせて頂きますが、基本的に全大人が役に立つ話をしているつもりです。
今回の結論
自分自身の生き方の軸を見つけ、充実した人生を送る(自己表現)ため、読書という人生の予習は重要」
デジタルコンテンツの先にあるもの
世の中は今、デジタルコンテンツで溢れています。
今まさに読んでいるブログもデジタルコンテンツです。
YouTubeなどの動画媒体やショート動画を気軽にみることが出来る各SNSなどに散らばるコンテンツの数々。
お金を大量に投入し、コンテンツに時間をかける人たちも多く存在し、スマホを片手に持つ人たちの時間の奪い合いとも言われる状態までデジタル的なコンテンツは生活の基盤となってしまっている気がします。
それらは非常に楽しいものや役に立つ内容も多く、ついつい何もなくてもネットサーフィンしてしまいます。
しかし、実は否定自体はしませんがデジタルコンテンツには大きな落とし穴があります。
それは主に2つあります。
1つ目の落とし穴は長期的な集中力がなくなること。
デジタルコンテンツは非常にわかりやすくまとめられた動画や短文などを中心とする文字列が中心で、何かのコンテンツをじっくり楽しむ、じっくり感じてじっくり味わうと言うことがしにくくなっています。
デジタルコンテンツの多くは脈略のない短期的で断片的なものが多く、それを毎度毎度みることにより、一瞬集中力があっても、長い時間集中することが難しくなってしまう傾向にあるようです。
それらは現在のZ世代などのネットがある時代に生まれた若い世代に起きている現象の一つのようです。
もちろん、ドラマや映画などのコンテンツもあり、2時間程度であれば集中してみてられると言う方もいますし、全部が全部長期的集中力を奪うと言うことではありませんが。
僕は面白ければ集中して見れる派です。笑
ただ、コンテンツの短略化が進めば進むほど忙しいユーザーにとってありがたいものとなります。
例えば、料理コンテンツなんかは料理を作りながら見ているケースも多く、素早く作る方法や大雑把な作り方の流れのイメージだけあれば作れますから、動画の余計な余白を無くし、内容を短略化することですごく便利なコンテンツとして機能します。
僕も料理動画というか作ったことのない料理をする時は一度動画をさらっと見ます。
2分〜5分くらいの動画を求めてしまいます。
しかし、この便利さを完全に捨てて、デジタル断捨離をわざわざする人もいるくらいですから、デジタルコンテンツにおける弊害というのも少なからずあるのでしょう。
特に日本人は自分自身が感じたこと、考えていることを表現するのではなく、自分以外の外に答えや基準があると思っている節があり、そうした刷り込みをされている民族です。
つまり、短期的にしか物事を捉えられないということは他人の思考の中で永遠に生きるということに繋がりかねません。
いわゆる「一般常識」「模範的行動」の中から抜けられなくなるのです。
さらに昨今はSNSの登場でさらに加速した短期的にしか考えられない人が増えています。
SNSなどでは自分が興味のある分野の情報しか表示されなくなりますから、情報に偏りが生じてしまい、その偏った情報が正しい=常識となり、自分の意見でもない知識が自分の常識となります。
そうした理由から、ただなんとなくSNSを見ていると、自分の考えと違う他人との分断を生じさせるリスクが高くなるように感じます。
その証拠に同じSNSを使用しているご夫婦は同じキーワードを検索してみるとわかりやすいです。
全然違う結果が出る場合もあるほど、違う内容を表示されることも多いです。
それだけ、SNSというのはその人に特化した表示の仕方をしますから、情報に偏りが出て当たり前なのです。
もっと、突っ込んだ話をするとSNSに表示される友達や知人の情報を見ているようで、その先には超頭脳的なAIがあなたに非常に高度にアプローチをかけてきている状態なのです。
何をアプローチしてきているかと言うと、実は根本的には高度な広告媒体であると言うことです。
投稿でさえも、自分で選んでいるようで、選ばされている状態になってしまうのです。
これが長時間続くと人間は思考の癖が短期的になり、深く思考しない癖が出来てしまいます。
思考しない結果、自分では何が正解で、何をして良いのか、何を信じて良いのかわからなくなり、充分な自己表現をする人生を送れなくなるスパイラルに陥るのです。
僕は常に自己表現がすごく重要で、その中での遊びであったり、学びや仕事があれば素晴らしい人生に繋がると信じています。
だからこそ、デジタルコンテンツを通して身に付く短期的で断片的にしか思考出来なくなるということに関しては強い危機感があります。
そして、2つ目はスマホ中毒になりやすいことです。
僕自身もスマホを特に何もなくても手から離さず、手元に置いておきたくなってしまっているので、すでに中毒予備軍的な感じでしょうか。笑
そんな僕がいうのも大変恐縮ですが世の中にはさらに重度のスマホ中毒者さんがいるので、あえて発言させてください。笑
これはわざわざ細かく書かなくても、スマホを持っている人なら誰もが頷きやすい内容ではないでしょうか。
知人や友達からの連絡にすぐ反応したり、そもそもコンテンツやSNSが面白くて四六時中スマホを触ってしまうあの感じです。
または、すごく暇、時間潰し、そして、習慣でネットで何か暇つぶしを探している時なんかもありますよね。
僕もあるのですが、無意識にスマホに手を伸ばしていますよね。笑
さらに暇人になると無料ゲームをいくらでもやっている人がいましたね。
僕は無料ゲームの何が面白いのかわからないので全くやりませんが、個人的にはすごく時間がもったいない行為に思えます。
皆さんも経験あると思いますが、子供の頃、テレビと少しのおもちゃしかなかった時代はもっと、時間をゆったりと過ごせていたような気がします。
もっとおおらかで、時間の流れもゆっくりとして、まるで時間がスローになっているような感覚です。
今、一見スマホを持って便利で生きやすい生活を送っているように感じますが、子供の頃のようなあのゆったりとした時間の流れが感じにくいのが正直なところです。
なんとなく伝わりますでしょうか。笑
親が時間を使ってでも読書することの意味
僕が推奨しているのは出来る限り紙の読書です。
もちろん、紙の読書は暗い場所では明かりをつけないと見れませんので、小さな子供と添い寝している時なんかは、電子書籍の方が良いと思いますし、赤ちゃんが横に寝ている時なんかは僕も電子書籍です。
ただ、出来るなら紙の書籍がおすすめです。
子育てをしながら、わざわざ時間を使って読書したりするのですから、少しでも良質な時間を過ごして欲しいと思っています。
視覚的にも読書しているという感じですし、Kindleなんかの電子書籍なんかと違う点は今どこまで読んでいるのか厚みで感覚的にわかるという点や紙に書き込んだり、電子書籍より自分のペースで読んでいけるような気がするからです。
前の前のページに戻るのも紙の本の方が読み返しがしやすいですし。
まぁ、一長一短がそれぞれあるので、使い分けと言えば使い分けなのかもしれませんが。
読書していると前述したようにデジタルコンテンツ中心の短略的な思考から、自分自身のことを考えられる思考が出来るようになってきます。
つまり、書籍の中での他人の意見を読みながら著者と対話することで、自分自身の思考が動き始めます。
「そんな考えもあったのか!」「いや、僕はこう思う」「そう言えば、昔そんな経験したなぁ」「この考えは使える」などなど、本を通して思考せざるを得ないのです。
その結果、思考を繰り返すことで自分自身の軸が出来上がり、他人の意見や常識に振り回されなくなっていきます。
結果的に他人の意見も尊重できる大人になるのです。
ここ本当に大事ですよ!他人を尊重できるようになれば、喧嘩や争いなんて起きなくなります。
これは短略的で便利なスマホ、つまりデジタルコンテンツでは養われないことですし、培うすることが難しいのです。
むしろ、デジタルコンテンツによって、反対の現象が起きていて他人を尊重できなくなっている人が増えていると感じます。
特に子供がいる状態では読んだ本の内容の中で子供にフォーカスすることが多くなってくると思いますから、親としての自覚とは別の人生の軸が出来上がってきます。
一見、長期間を要する大きな話をしているようですが、このような小さな積み重ねが人生を望む方向に持っていくのです。
とても大事な話
「思考は現実化する」そんな話を聞いたことがある人いると思います。
これはこの世界の「一つの真実」です。
他人や外的要因が人生を左右するのではありません。
自分の思考が現実化しているのです。
しかも時間差で。
思考を変えることにより、自分自身の世の中への見方や考え方が変化し、人生がうまくいくようになるという話ではありません。
言葉の通りです。
思考から始まり、それが現実化しているのです。
つまり、思考することで現実に影響し、自分が観ている物理的現実が変わるのです。
お伝えしている意味がわかる方とわからない方がいると思いますが、難しく考えずに「そんな考え方もあるんだなぁ」という程度で良いと思います。
でも、シンプルに伝えたいことはネガティブな思考をすればネガティブな現実が創造され、ポジティブな思考をすればポジティブな現実が創造されるのは世の成功者と言われる人は顕在的、潜在的に理解している事実です。
成功者になるのを目指してくださいというメッセージではありませんが、思考は現実化するという事実をうまく使用し結果的に成功者と呼ばれる人となっているだけなのです。
よく成功要因は「環境」「人脈」「コネ」「才能」などなど様々な形の成功要因を耳にすると思いますが、自分が心の奥から求めるものであれば、それらの成功要因は結果として創造されていくのです。
たまたまや運と言った要因ではなく自分が創造しているだけなのです。
始まりはやはり「思考」なのです。
思考することで人生を豊かにするその本質と方法が読書の中にこっそり隠されているのです。
読書家に貧乏人はいないという話をどこかの社長さんから聞いたことがあります。
まさにその通りだなぁと思います。
読書することで、自分が感じていること、思っていたことなどを振り返り、言語化出来ます。
その後、言語化できることでイメージも膨らみ、思考することに繋がります。
そして、当たり前ですが育児本などを代表とする実用書には先日達の導き出した知識、そして、その先の知恵が出し惜しみなく書かれています。
この出版不況の中、中身を精査して出している出版社も多く、何も役に立たない本はないと言えるほど、本には一行でも学ぶべき知識があります。
だから、人生を楽に楽しく生きることに繋がっていくのです。
まさに人生の予習をしているような感覚です。
面白い本の選び方
面白い本ありますか?
と普段聞かれないんですが・・・笑
面白い本の探し方をお伝えします。
それは最初の数ページを読んで面白いと感じた本を読み進めることです。
最初の数ページ面白いと感じない、ワクワクしないような本は最後まで面白くありません。
これはこれまでの経験上、断言しても良いです。
最初の数ページで著者のエネルギーが伝わらない・合わない本は見切りをつけて良いと思います。
僕の中で、近年はAmazonでレビュー評価が良い本を購入していざ読んでみても、最初の数ページ読んですぐブックオフ行きになる本もあります。
それくらい最初の数ページに本の伝えたいメッセージや著者のエネルギーが詰まっているような気がします。
だから、最初読んで面白くない本はもう読まなくも良いとすら思います。
いくらベストセラーでもその人に合う本がありますので、数多く当てて見ることが良い本に出会うコツだと思います。
特に図書館の育児本や実用書コーナーは結構どこの街でも面白い本が多いように感じますね。
子供達にわかりやすく伝えるには知恵が必要
日本ではすごく難しいことをする人や考える人がすごいと言われる風潮があります。
でも、どう考えても原理原則や本質的なことは全てシンプルな説明が出来ると思うんです。
わざわざ紙に書き出さないとわからないように複雑な話や論理が出てくる時点で、話をしている側がわかっていないような気もするんです。
難しい話を読んだり、聞いたりしてわからないことってありますよね?
そう言う話って、話している人がわかっていないので、シンプルな説明が出来ていないと感じています。
だからこそ、子供達に本質的な知識を伝えたいと思えば、深い知見や知恵が必要になるのです。
そこで役に立つのが本というツールです。
特に子供達が少し成長して言葉も話せるようになったら「なぜなぜ期」は必ず来ますよね。
その時に、いい加減な回答で済ませると、ちゃんと答えられていないと子供達には見透かされています。
または素直にそのいい加減な回答を子供達は周りに話したりします。
いずれにしても良い結果には繋がらないような気がするんです。
そのためにも、大人が勉強し、知識を増やしていたら堂々とわかりやすく教えられると思うんです。
例えば、「政治と税金」なんて言葉の関係性を覚えるのは小学生くらいでしょうが、簡単に説明出来る人っていますか?
これまでの経験やテレビのややこしい刷り込みで、難しく考えてしまい、なんと答えて良いかわからない人も多いと思います。
僕は聞かれたらこう答えます。
「政治はみんなのお金(税金)を一度預かって、そのお金をみんなのために使うことを言うんだよ」と。
んっ?
今の政治がその当たり前が出来ていない?と言う話は趣旨がずれるので置いときましょう。笑
ある程度興味さえあれば、シンプルな知識は増えていき、子供達に多くのことを教えて、伝えられるようになります。
でも、僕はわからないことは「わからないから一緒に考えてみよう」と言うと思います。
わからないことはわからないですから。
大人が伝える知識の質が高ければ高いほど、子供達の人生の選択肢に大きく影響を及ぼすような気がしています。
子供に読書をさせたい?
子供にもっと勉強しなさい!もっと学習、学びをしなさい!
という親がいます。
そこまでいかなくても、生きていくための知識や知恵を身につけて欲しいと願う親もいますよね。
僕も全部思っています。
でも、それらを解決する方法は子供をがんじがらめにして、叱りつけて、勉強させることではないと思います。
親自身が読書している姿を子供に見せるだけで良いのです。
当たり前ですが、親が勉強していないのに、子供に勉強しなさいというのは可笑しな話です。
僕は子供に学びについて語ることはあっても強要はしないです。
ただ、黙って今日も本を読むだけです。
最後までご覧頂きありがとうございます。
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