僕はどちらかと言えば、自分の子が生まれるまで何歳であろうと子供と触れ合ったり、話しかけたりすることがどちらかと言うと苦手な方でした。
だから、本音を言えば自分の子が生まれてくる前までは「本当に子供の面倒みたり、遊んだり出来るかなぁ」と内心不安でした。笑
でも、自分の子供が生まれて、この記事を書いている時には1年と半年ほど経ちましたが、子供がすごく好きになりました。
すごくどころではないですね。
めっちゃ好きです!笑
ちょっとした仕草が可愛かったり、なんか言いたそうな顔してたり、アンパンマンの歌を口ずさんでみたり、絵本を読んで読んであげた言葉を話し出してみたり、と子供ってすごいなぁと日々痛感しています。
成長したらみんな当たり前だと思っている単純なことでも、子供ができたら、飛ぶように嬉しいんですよね。
自分の感性で、自分が出来ることを日々何気なく挑戦しているんですよ、子供は。嬉
うちの子だけが出来ると嬉しいとかそう言う話ではなくて、誰の子でも関係なく子供が何かをするって「こんなに愛しいことなんだ」と思う日々が続いております。
誰の子でも泣いたり、遊んだり、何か話していたりするのをみると、本当遺伝子的には親子とされていても、よ〜く観察するとその子なりの人格が見えてきます。
極論を言って仕舞えば「親子と言っても他人のような」と言えるくらい人格がしっかりあるんですよね、赤ちゃんの頃から。
言葉が話せなくても人格があるんですよね。
その子の「個性」とでも言いましょうか。
赤ちゃんらしい傾向はあっても、個性はしっかりありますよね。
だから、うちは厳しく管理したり、躾なんかせずに、本人の感性や価値観を尊重しながら、のんびり成長して欲しいなぁと心から思います。
親になってから、「誰々ちゃんはもう歩いている」とか「話せるようになっている」とか色々と比べたがることは多くなってきますけど、これからの時代は基準は他人ではなくもっと大らかに子供を長い目で見ても良いんじゃないかと思ってなりません。
生産性重視の現代人は早ければ良いと思っていますが、決してそんなことはないと思うんです。
それぞれ本人がベストなタイミングで成長・変化していくものです。
だからこそ、小さい頃から周りより早く受験だ、躾だ、教育だ、と競争をあまり押し付けたくないのが本音です。
僕自身が子供の頃、あーしなさいとかこーしなさいとか言われるのが嫌いでしたから。
でも、親に対して極端に迷惑をかけたことはないと思っています。
ただ、遊びすぎて暴れすぎて怒られていただけですから。笑
今の時代、親が子を育てるものとされ、親が1人で子供を見ていることが多いじゃないですか。
だからこそ、忙しい親が子供に言うことを聞かせるために、子供を強く叱ったり、怒ったり、時には羽交い締めにして何かをさせることもあるかもしれません。
そう言う時代だからこそ、親って苦労や我慢が必要になってくるんですが、親の苦労の根本には子の教育・躾は親の責任という価値観や世間の風潮が強すぎるからだと思うんですよ。
他人の目を気にして不安や緊張を抱かずに、もっと親が気を抜いて良いと思うんです。
楽できるところは楽をしないと親が常にイライラして他人にあたってしまいます。
それが旦那だったり嫁だったり、子供だったり・・・
現にその教育や躾を受けた親たちがほとんど余裕がない社会で疲弊しているじゃないですか。
「規則正しく生活しなさい」と言われ、余裕なく勉強や部活に励むあの生活ですよ。
大人になっても仕事で同じことさせられて疲弊していませんか?
その自分自身が疲弊する社会に順応させるために自分の子供を教育していくんですから、なんか本末転倒な気がします。
そもそも教育ってなんでしょうか。
躾とはなんでしょうか。
子供を徹底管理することですか?
根本から何かずれていたら、おかしな方向に進んでいきます。
それぞれの答えがあって良いと思っていますが、これからの時代、子育てとは何かと冷静に考える時期がきています。
(僕が勝手に言っているだけ。笑)
全国の親がそれぞれ自分で答えを出し、生き方を子供に伝えていく時代が近づいているように思えます。
本来、子供ってどう生きていたんでしょうか。
庶民的な歴史を辿れば、一番近い明治や昭和初期なんて、子供の面倒を親がみずに働いたりしながら、大体近所の老若男女の方々に見てもらって、大人を見て勝手に育って行くのが子供だったんじゃないですかね。
うちのひいばあちゃんの時代は赤ちゃんは畑の横で乳母車に乗りながら、泣いていてもそのまま放置だったらしいですよ。笑
たまに近所の人が面倒みてくれていたそうです。
そうこうして大きくなっていき近所の人たちが子供を勝手に見て、色々教えてもらえてたんです。
そして、例えば、大工さんになりたい子供は、大人の大工さんに色々教えてもらって大工としての心構えや技術を学ぶ。
今の日本の歴史的な建造物は大昔の大工さんの技術力そのものではないでしょうか。
江戸時代などはひどい時代だったと豪語する人たちがいますが、シンプルな話、本当にひどい時代だったのであれば、あんなに美しい工芸品や美術品、建造物は残っていないと思いますよ。
葛飾北斎の芸術的な美術品は江戸時代に誕生したものですよ。
大人の生き方が充実していたからこそ、子が育っていたのではないかと思えてなりません。
そう、答えは昔の人が知っていたのです。
大人が生き方を子供に見せることこそが最大の教育ではないですか。
江戸時代の子たちだってそう言う育ち方をして、今より人口はずっと少ない中でも人として育っていっていましたよね。
僕は最近、この話を深く追求するにあたって、現代の子育ての方が昔より遥かに劣っているように感じてなりません。
どうしてかと言えば、親が子供を徹底的に我慢させ、強く管理することによって子供は他人をいじめたり、極端な話、グレていくんだと思っています。
今の社会でも同様の現象がずっと続いています。
学校でいじめがなくならないのは根本は管理コントロールを学校からも親からもされるんからなんだと思います。
子供にとって息抜きのタイミングがないですよね。
だから、他人を攻撃して少しでも解消したりするのです。
機械だって遊び(隙間)がないと本体側が歪んでいくか、いずれ壊れるんです。
車のブレーキだって遊びがあるから、車が長持ちし、安全に無意識に運転できるんです。
人だって同じではないですか。
自分がしたいことより、他人を優先したら子供にとってストレスの種になるのは明白なのに、それを行っているのが今の教育・躾の根本になってはいないでしょうか。
だからと言って、いきなり時代を遡って、昔の価値観を大事にしようとしても難しいですから、少しづつ今からベストな新しい価値観を創っていきたいと思っているんです。
ここで一番最初にした話を戻すと、大人みたいにどんなに小さくても子供にもそれぞれ人格があると思います。
だからこそ、親がその子の人格を尊重してあげれば、大きな問題は発生しないはずだと考えています。
管理教育(例えば、規則正しい生活等の一般常識)は人格の否定、そして、個性の排除とも言え、子供の可能性を狭めるような気がしています。
親に尊重されて育った子供は自然と他人のことも尊重できるようになると思います。
そうしたら、ほとんどの問題はおきませんよね。
では、最後までご覧頂きありがとうございました。
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