今回は本当の素直さについてお伝えしたいと思います。
今回の結論
本当の素直さとは自分の心を大事に出来ること
素直さとは自分の心からの表現である
人の指示や言うことに従う=素直ではない
幸福はその時の状態のことであり、数字では測れない
五感を休め、心をゆったりとすれば感じられる世界がある
突然くる「あっ」というインスピレーション的な感覚こそ本来の素直さ
学校教育の弊害
別記事で詳しく記載していますが、633(小中高)の学校教育では先生の言うことに従う子が良い子、従わない子が悪い子、はたまた従わない子は精神疾患だとか謎の病名までつけられてしまう世の中になっています。
ホントに子供にとって学校教育は必要か?『保存版・学校解体新書』
「子供が学校でいじめにあっている」「いじめから子供達を救いたいと考えている」「学校教育とは何か根本から知りたい」「子供にとって学校教育は必要か知りたい」「学校の在り方に疑問を持ちはじめた」「学校運営に不満がある」「社会の変化に学校は必要か?と考えている...
この話の本質は、学校は個性のあまりない人物を作り上げ、服従訓練を行っている場所ということです
そのため、僕たちが小さな頃から「素直」が一番だよ、と言われてきた話の中身を慎重に聞き分ける必要があると思います。
もし、会社の上司や親から「素直」な奴が一番伸びるなどと言われ、指示や言うことに従う経験は誰しもがあると思います。
しかし、その素直になりなさいの言葉の意味は、私の都合の良いように従いなさい、という意味で使われている場合、本当の素直さを履き違えていると感じざるを得ません。
この社会で生きる上でとても苦しい根本は、自分が表現したことが間違っていると指摘されたり、数字上で誰かと比較されて自分自身の自信を失ってしまう点にあるのです。
僕はこの個人(自分)の否定に繋がる要素を排除するか、または自分自身で社会システムの弊害的な部分を意識しない限り、自分のことを卑下したり、自信が持てなかったりする人は永遠と増え続けると感じています。
それがわかりやすく表面化しているのが、学校の中で起きていることなのです。
この社会のシステムの中で上の方で人に指示をする側の視点で考えてみれば答えは明白です。
もし、全員が自分の思うように動かれてしまったら、管理出来ず、統率が取れず、目的に向かって進むことが出来なくなるからです。
そのためには、従順に従う労働者が必要不可欠なのです。
これは良い悪いの話ではありませんが、僕はこうした従順に従う労働者教育こそが、子供達の心をギュッと締め付け、窮屈な思いをする最大の原因ではないかと思っています。
子供達にはどんな思いで生きていって欲しいですか?
当然、バランスも重要ですが僕は完全に子供が自分自身を大事に心で生きられる人に育って欲しいと考えています。
なぜなら、自分自身を大事に出来る人はわざわざどこかの組織に属して、他者貢献・自己犠牲しなくても、他人を大事に出来るからです。
このブログでは何度も何度も登場するあのフレーズ。
「自分を大事に出来るからこそ、他人を大事に出来るのです。」
自分が持っている心のコップは自分が満たされるからこそ、溢れ出て、初めて周りに影響するのです。
ホントに子供にとって学校教育は必要か?『保存版・学校解体新書』
「子供が学校でいじめにあっている」「いじめから子供達を救いたいと考えている」「学校教育とは何か根本から知りたい」「子供にとって学校教育は必要か知りたい」「学校の在り方に疑問を持ちはじめた」「学校運営に不満がある」「社会の変化に学校は必要か?と考えている...
心の幸福は数字では測れない
幸福の指数なんてモノがありますが、そうした数字では本来の幸福は測れません。
個人での幸福とはその時の状態のことであり、その時に感じた心の状態が関係してくるからです。
そのため、僕は世界の幸福度ランキングなるものや調査の類は信用していません。
その時の状態で幸福かどうかが決まるのに、無理やり数字化するのに違和感を感じるからです。
学校教育の話とも繋がるのですが、「他人の幸福に振り回される必要はありません」
例えば、子供の学校の成績が良いから親が喜ぶなんて話は最たるものです。
子供達も親が喜んでくれるのは嬉しいことですが、当の本人は本当に心から喜んでいるのでしょうか。
学校で勉強することが生きがいで、楽しくやっている子供はそれで良いのでしょうが、勉強自体を面倒だったり、やらなきゃいけない義務感でやっている場合、確実に子供達の心は廃れていきます。
他人の幸福にコントロールされている状態ですから、心から幸せを感じることはないでしょう。
それに強要される勉強には意味はなく、むしろ人生で自分がやりたいことや学ぶべきこと、好きなことすら思い出せずになるリスクさえ孕んでいます。
それこそ、心がない人間を育ててしまうという最大のリスクに繋がってしまうのではないでしょうか。
今の社会のシステムでは、他人を卑下し、他人から搾取するのは当たり前のように行われているのは、愛がなく心を失った人間が多いからです。
そのことに気がついている人はかなり少ないのです。
人は、一人一人意識があり、個性があり、心があります。
個々人で感じている世界はどれも違うはずです。
そのため、本人が感じる心や世界を素直に表現したり、素直に話すことこそ、本当の素直さではないかと思うのです。
ですから、本当の素直さを尊重してあげることが親として、人として重要なことではないかと僕は訴えているわけです。
子育ての反抗期に疲れるのには理由がある「子供は親に対して苦しさを抱えている」
「子育ての反抗期が続き子供と険悪な時間が続く」「反抗期が続き、自分自身が疲れてしまっている」「反抗期が起きるメカニズムを知りたい」「子供のためにと考えているが、子供が言うことを聞いてくれない」こんな悩みをお持ちの方向けの記事です。根本を理解しなければ、物事は解...
自分が感じる感覚を大事にすることの重要性
僕たちは五感を頼りに生きています。
しかし、クリエイティブな活動をする方々と話をしてきて、感じたことは「五感以外の感覚」も重要視しているという点でした。
特に現代社会では、毎日が忙しく、五感でしか物事を捉えられない日々が続きますが、物事の本質に気が付く人は五感以外の自身の感覚を大事にしています。
忙しすぎることで、自分の五感にフォーカスしすぎて、外の感覚から入ってくる情報をシャットダウンしてしまっているのが現代人なのです。
外というのは、何も見える世界だけのことではありません。
目に見えない領域から人は自然と情報のやり取りをしています。
信じられない人もいるでしょうが、目に見えない感覚にこそ、真実を捉えるヒントがあるのです。
具体的に、少しゆったりとした大らかな気持ちで過ごす時間を意図的に作ったり、余計なことを考えずにリラックスしているあの時間です。
よく「あっ」という感じで何か思い立った瞬間を経験しているはずです。
例えば、リラックスしてお風呂に入っていたら、面白いアイディアが浮かんだ!とか、人によっては文章やリズムが頭に浮かんできたり、忘れていた大事なことに気がついたりと、その例には枚挙に遑がありません。
何かを思い出したり、素晴らしいアイディアが浮かんだりとその時によって様々なのですが、あの瞬間はリラックスしている時間にこそ起きやすいのです。
あの「あっ」という瞬間こそ、人生を進めるための重要なヒントや心の声が反映されているのです。
「あっ」という感覚こそが、自分の人生を楽しむためのヒントが凝縮されていると日々感じています。
これを受け取れる状態にし、「あっ」という感覚にこそ、本来の素直さがあると思うのです。
本来の素直さとは自分の内側からの感覚にこそ、隠されていることが多いのです。
本来の素直さを思い出せば、幸せに生きられると確信しています。
モデルケースという名の「幻」に苦しめられる親達『躾・教育が苦しい根本を解決』
「理想の親とはかけ離れている気がして子育てに自信がない」「〇〇さんの家庭ではこうやっていて、うらやましく思う」「良き妻良き夫を目指しているが、とても疲れてしまう」「学校での成績や生活態度などを先生から指摘されて困惑している」「子供はこうあるべき、こうすべきという価値観...
最後までご覧いただきありがとうございます。
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