とても素敵な藤井風の「花」という曲の歌詞を解説します。
この曲の歌詞に隠された内容は「忘れている真実そのもの」です。
この記事を読むことで何か思い出す人もいるかもしれません。
僕はそれを伝えたくてこの記事を書きました。
ドラマ「いちばんすきな花」のエンディングに用いられた曲ですが、この曲の歌詞は藤井風さんが、本当に伝えたいメッセージがいくつも隠されています。
まず、この曲の大きなテーマは広義の意味での「個性」と「生命体とは何か」です。
この歌詞の「花束」や「花」というワードを「個性」というワードに交換しても歌詞として成り立つ面白さがあります。
花を用いて、人間のみならず、生物全体の個性について歌っている歌詞のように僕は感じます。
また、花の生きようを歌詞で表現し、生命体(死生観とワンネス)の本質について語った歌詞もあります。
その証拠にPVの中で藤井さん自身の遺影とも言える写真と棺桶と思しきものが置かれている前で、仏教のお線香をあげる動作をしたり、遺影の前でダンスをしたりとその死後の跡について表現しているように見受けられます。
歌詞全体として、僕はとても「愛」のある歌詞だと感じますし、曲調もとても素敵です。
歌詞
枯れていく
今この瞬間も
咲いている
全ては溶けていく
何が出来るのだろうか
誰を生きようかな
みんな儚い
みんな尊い
しわしわに萎れた花束
小わきに抱えて
永遠に変わらぬ輝き
探してた
僕らを信じてみた
僕らを感じてた
咲かせにいくよ
内なる花を
さりげなく
思いを込めてみる
やむを得ず
祈りを込めていく
いつまで迷うんだろうか
いつかは分かるよな
誰もが一人
全ては一つ
色々な姿や形に
惑わされるけど
いつの日か
全てがかわいく思えるさ
わたしは何になろうか
どんな色がいいかな
探しにいくよ
内なる花を
しわしわに萎れた花束
小わきに抱えて
永遠に変わらぬ輝き
探してた
僕らを信じてみた
僕らを感じてた
咲かせにいくよ
内なる花を
探しにいくよ
内なる花を
あなたに伝えたい真実
僕たち人間含め、全ての物質や生命体(植物・動物・鉱物・惑星等)は元々全て一つです。
それらを「ワンネス」と言います。
ワンネスとは絶対無限の全体宇宙そのものです。
人間とは、地球という惑星で、物質的な遊びをしている存在であり、時間や空間という制約の中で遊んでいる個性のエネルギーに過ぎません。
寿命が尽きれば、一部地球に身体を失くしてでも残る方を除き、ワンネスに帰っていきます。
人間の感覚で言う「亡くなる」と言うのは、分離の世界から融合の世界に戻ることを言います。
ただ、それだけです。
実は天国も地獄もありません。
それらの天国や地獄などの表現は地球上の宗教的概念に過ぎません。
あなたは、地球という遊園地に遊びに来ているだけなのです。
思い出せますか。
本当は無限の愛の存在そのものが、分離し個性のエネルギーを持ち、地球に遊びにきているのです。
大きな海の中から水滴が垂れるようなイメージです。
地球という惑星の中で経験しているに過ぎない意識体そのものであり、全ての物質や生命体にはそれぞれ個性が存在します。
個性のエネルギーが存在し、意識体として経験しています。
宇宙そのものがワンネスという名の無限の存在であり、地球で経験しようと考えた個性は地球の中で様々な存在として経験します。
その際に分離の世界に入ってしまっているため、元々は1つだったことは忘れてしまいます。
本当は、あなたは私、私はあなたなのです。
よく歩く道端に咲く花、植物もあなたなのです。
全て同じ存在です。
それぞれ分離し、それぞれ経験しているに過ぎません。
ですから、生き物に善悪もなく、優劣もありませんし、人間が偉いなんてこともありません。
みんな同じ存在です。
この歌詞にもこんなことが書かれています。
惑わされるけど
いつの日か
全てがかわいく思えるさ
わたしは何になろうか
どんな色がいいかな
探しにいくよ
内なる花を
だから、本当の愛とは、全ての存在に感謝出来、全ての存在を尊重出来ることこそが本来の愛なのです。
「人の為に」や「兄弟愛」「親子愛」というのは地球上での解釈であり、本来の宇宙的な愛ではありません。
宇宙には善も悪もありませんから、愛に近くのも、愛から離れるのもそれぞれの選択です。
故に宗教的な概念で特別とされる存在もワンネスの一部です。
この全体宇宙の中に特別な存在などいないのです。
当然、鉱物・植物や動物にもそれぞれ個性があり、意識や感情も持っています。
形は違えど、人間のように意識があり、感情もそれぞれあるのです。
姿や形、価値観や生活方式がまるで違うだけなのです。
残念ながらそれを理解していないのは人間だけなのです。
人間以外の生物は言葉以外のテレパシー的にコミュニケーションをしっかりとっています。
そうでなければ、自然界はもっとはちゃめちゃになっていますが、ならずに全てがバランスよく成り立っています。
それらは各生命体がそれぞれ織りなすコミュニケーションが為せる技なのです。
他の植物や動物・虫などもこれらを理解してこの地球で経験しています。
人間、死んだら終わりではありません。
死んだら、元の場所に帰るだけです。
安心してください。
今はジェットコースターのような少し刺激的な遊びをしているようなイメージです。
人間には死という終わりがあります。
その終わりこそが、地球という遊園地の有効期限が切れた瞬間です。
もう一度、元に戻って藤井風の「花」という歌詞を眺めてみてください。
印象がまるで変わると思いますよ!
歌詞
枯れていく
今この瞬間も
咲いている
全ては溶けていく
何が出来るのだろうか
誰を生きようかな
みんな儚い
みんな尊い
しわしわに萎れた花束
小わきに抱えて
永遠に変わらぬ輝き
探してた
僕らを信じてみた
僕らを感じてた
咲かせにいくよ
内なる花を
さりげなく
思いを込めてみる
やむを得ず
祈りを込めていく
いつまで迷うんだろうか
いつかは分かるよな
誰もが一人
全ては一つ
色々な姿や形に
惑わされるけど
いつの日か
全てがかわいく思えるさ
わたしは何になろうか
どんな色がいいかな
探しにいくよ
内なる花を
しわしわに萎れた花束
小わきに抱えて
永遠に変わらぬ輝き
探してた
僕らを信じてみた
僕らを感じてた
咲かせにいくよ
内なる花を
探しにいくよ
内なる花を
藤井風の「花」に隠されたメッセージ
この「花」という歌詞には沢山のメッセージが含まれていますが、まず、前提となる真実を理解できなければ、なんのことを書いている歌詞なのか理解できませんので、前述しました。
この「花」というテーマには人の「個性」を内なる花と表現していたりいます。
生物の個性とは宇宙にたった一つの個性でもあります。
それらは人それぞれ違いますから、その自分の個性を大事にし、探すことが大事であるとメッセージとして伝えていますね。
それこそが地球上で人間として生きる本来の意味でもあります。
あなたは何のために生まれて、何をして喜ぶのでしょうか。
それこそが、地球に生まれたあなたが本当にやりたかったことではないでしょうか。
それらを思い出すために、内なる花を探す必要があります。
人生とは内なる花探しでもあるのかもしれません。
また、歌詞の中で「全ては一つ 色々な姿や形に惑わされるけど いつの日か全てがかわいく思えるさ」というフレーズがあります。
このフレーズがとても好きなのですが、まさに表現していることは「ワンネス」そのものです。
個性をつぶす教育を小さな頃から半強制的に受け続けてきた日本人は、極端に言えば没個性を好む傾向が強い方も多い印象です。
しかし、縄文時代からの記憶を持つ方も多く、本来の「ワンネス」という感覚が元々備わっている人が多いです。
どんなに寂しくても、決して人間は一人ではありません。
様々な存在が人の周りには沢山いるのです。
形や姿が違うだけで、比較したり、差別する必要もありません。
この記事を読んだ方で何かを思い出す人もいるかもしれません。
人生には終わりがある
だからこそ、どういう風に人生を終えたいのかを考えることはとても意味のあることだと思います。
笑って終えたいので、あれば笑って終えられるように、今から人生を笑えるように楽しむことです。
悲しい時、苦しい時、嬉しい時、全ての瞬間瞬間の感情でさえも楽しめれば、この経験・この旅はとても素敵なものだったと思える体験ができるのではないでしょうか。
最後に、あなたは何のために生まれ、何をしたくてこの地球にいるのでしょうか。
それを思い出すには自分の心の声に従い、肌感覚を大事にすることです。
そして、自分の個性を大事にしてください。
幸せのコツは、本当にそれだけなんです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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