僕は子供達の個性を大事にしていきたいと考えていますし、個性を大事にする社会を創造したいと考えています。
だから、シンプルな話、子供達に個性的に生きて欲しいと願う親ですから、親である僕が個性的である必要があると思ったのです。
だって、そうですよね?笑
自分の意見を素直に伝えられるように生きる
多少、変な人ですね!なんて言われても全く気にしていないのが最近の本音です。
最近は会う人に自分の考えを素直に伝えるようにしているのですが、誰にも対面で馬鹿にされたり、文句言われたり、変な顔されたりすることはないです。
みんな優しいのか、時代が変わって多様性を認めるようになっているのか、数年前の自分であれば怖くて自分の意見を初対面の人に言うのは避けていましたが、今は積極的に話しています。
もちろん、他人を傷付けるような発言はしませんが、結果的に傷付いてしまうこともあります。
その際は、話を途中で止めるようにしています。
相手の顔色は伺っているつもりです。笑
そんなこんなですが、最近「変な人ですね!笑」と笑って言われたことはあります。
でも、その一言が何故か嬉しかった。笑
確か、同じく1歳の男の子の父親と話した時に「アンパンマンの世界観」について、すごく語っちゃったことがあったんですね。
初対面の男性にアンパンマンについて力説されたら、確かに客観的に見て、変な人です。
でも、そう言う他人からの目を日本人は気にしすぎてきたと思っていますので、僕は会話の話題的に大丈夫そうであれば、あえてガンガン話しちゃいます。
僕自身が実は語りたがり屋であり、人に話をするのが楽しい人なので、我慢せずに話をするようにしちゃっています。
この「しちゃっている」と言う振り切った考えを大事にしています。
数年前まで僕も「常識的に・・」とか「普通は・・・」とか結構口にしていたと思いますが、その言葉自体が人生の選択肢や可能性を大きく狭めてしまっていると思い始めてから思い切った行動が出来るようになりました。
何より思い切って自分で選択して、自分で決めて行動すると結果的にどうなったって気持ち良いんですよね。
あーだ、こーだ考えてモヤモヤしているより、自分を思い切って表現した方が気持ち的にスッキリすることに気が付きました。
人ってすぐには変われないことも多いですが、考え方を変えれば、自然と行動も変わってくるんだなぁと実感中です。
多くの親御さんは、子供に対しての話のみならず、他人の目をすごく気にしているようで、ありきたりな会話や常識的な言動ばかりしますし、自分をすぐに表現しないように思います。
他人の考えを探りながらと言うか、急に仲良くならないあたりが日本人らしいですが、個性を重視した子育てをしたい人は自分が個性的である必要があります。
だからこそ、リアルでも積極的に話すようにしているんです。
この個性を重視した子育てとは何かについて知りたい方は、このブログでは日々書き綴っていきますが、現段階で一番わかりやすいのは「学校教育」について言及した記事がありますので、そちらを参考になさってください。
社会全体の苦しさの元凶にメスを入れる記事としたつもりです。
おかしなルールのおかしなゲーム
個人が活躍する時代に変わりつつあると日々感じています。
これまでの昭和、平成といった流れで成功してきた成功哲学や社会的なルールは段々通用しなくなる時代がきています。
なぜ、そうした変化が起きているのかと言えば、自己肯定ではないですが、僕みたいに個性的に生きていく、または、個人を大事にして生きていくと言う考えの人が増えているからに他なりません。
世の中、根本的なことを考えれば、非常におかしなルールで、おかしなゲームとも言える生き方を強いられているのが常です。
それでも、日本という国では江戸時代など、個人を大事にしてきた時代は非常に精神的に豊かで人々が生き生きと暮らしてきたのが調べれば調べるほど理解できます。
日本ではそうした時代がいくつもあり、そうした記憶を持つ数少ない国の一つです。
どんなに理不尽な仕打ちを受け、どんなに理不尽な社会構造になっていても、解決出来なかった地域や国もこの世界には多くあります。
国民が幸せになれない構造がほとんどの国で起こっています。
国によっては生まれた瞬間から将来の仕事まで決められてしまうのです。
考えるだけでゾワっとします。
しかし、日本は少し違っていて、個人の幸せにフォーカスし豊かに生きていた時代がこの国にはこっそり隠れています。
代表的なのが、縄文時代と江戸時代です。
僕はこの2つの時代に豊かに生きる秘訣が残されていると考えていて、この時代の話をよく引き合いに出します。
忘れたままの記憶を求めて
宗教的な背景がない芸術的な作品が多く輩出され、美しい建築物がたくさん出来た時代である江戸時代には人々の余裕が見え隠れします。
余裕がなければ、クリエイティブな活動はできないのです。
今の効率重視で左脳中心の生き方を選択している人には理解しにくい話かもしれませんが、余裕があり、日々の生活にストレスを感じ、疲弊していないからこそ、素晴らしい作品が作れるのです。
心に疲れを感じている状態で、良い作品が出来るわけないのは想像に難しくないですよね。
音楽の経済活動に忙しいアーティストはいても、音楽の創造活動に忙しさは関係なく、むしろ、ゆったりとした時間が必要なのです。
イメージで言うと、1人でゆっくりギター両手に抱えている時間がものすごく大事なのです。
ゆっくりですよ。
そして、日本にはさらに工芸品として各地域に眠っている作品が数多くあります。
これらは文化的な側面にだけフォーカスされがちですが、人々の豊かな生き方がこっそり隠れていることが多いです。
だからこそ、各地域にある工芸品を制作するにあたり、人々がどんなことを考え、どんな生活をしていた人が作ったのだろうと思いを馳せてみるのも良いかもしれませんね。
一見目標に対して遠回りなアプローチのように見えますが、クリエイティブな活動に境界線はありません。
昔の人が残してくれた伝統的に文化として残っている工芸品からジャンルをクロスオーバーして知恵を拝借出来たら嬉しいなぁと思っています。
最後までご覧頂きありがとうございました。
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